数字の裏にあるもの

谷口です。

今回は物事の捉え方とコミュニケーションについて。

99回連続でサイコロの6の目が出た時、
次に6の目が出る確率はどのくらいだろうか。

 

確率論でいえば、答えは当然六分の一。

確率の世界において、未来は過去に左右されない。

一方で、この問いに対する別解がある。

”次に6が出る確率は100%だ。
99回連続で同じ目が出ることなどあり得ない。
必ず何かの細工がある。だから100%だ。”

100回同じ目が出る確率は、6の100乗分の1。

これはどちらが正解というものではなく、
その人が持っている世界観を良く反映する問いだと思う。

それぞれを解釈すると、数字は数字。確率は確率。
定理、原理に重点をおく見方と、
数字にはそれ以上の意味があり、人の恣意が絡んでいる
という見方。

個人的には後者の考え方の方がしっくりきて、
数字というものには何かしらの恣意性がある
と考える場合が多い。

そもそも完全な客観性などは、日常の中には
ほぼ存在せず、用いられる数字はただ共通項
を作るための記号でしかないと思う。

数字に限らず、人が作り出す記号には
当然に色んな意味があり、そこに
どういった意味を見出すか、見出せるかで
表現や理解の幅は広がるんだろう。

何が言いたいかというと、結局数字だけ
追っていてもダメだよねということ。

前述の通り、数字はあくまでも指標を表すための
記号であって、本質的に追うべきものはその裏に
ある、記号化されない漠然としたもの。

わかりやすく言えば、誰かから目標としての
数字を振られたとする。

Aにとってはそれは楽に到達できる数字で、
Bにとっては相当ストレッチした数字かもしれない。

降った側からすれば、この二人に対する意図は
全く異なるわけです。

Aに対しては、今は最低限をこの数字にコミットし、
他のことを頑張れというサインかもしれないし、
Bに対しては、無理かもしれないけど、とりあえず
高い目標を目指せというメッセージかもしれない。

ここのコミュニケーションが成り立つかどうかに
よって、AやBのパフォーマンスは大きく変わってくると
思います。

数字を追うことは確かに楽で分かりやすいですが、
自分たちは多分その数字のために何かを行っている
わけではなく、何かしらの価値を求めているのだと思うのです。

Aには視野の拡大を、Bには無謀に見える目標に
挑戦するという経験を、という風に、数字の裏にある
価値こそが、本質的に銘々が考えるべき事。

目の前の単なる記号に踊らされず、自分なりの
解釈と、コミュニケーションを見つけて行きたいと思います。

ABOUTこの記事をかいた人

谷口 孟史

2012年に中途入社。Greenの既存営業チームで企画をやりつつ、評価制度や行動指針の策定などをやってます。