何事からでも学びは得られる!(その1)

こんにちは!

今回は杉山がお送りします。
前回のブログではふざけたことばかり書いたので、今回はマジメに行こうと思います(^^)


今日は、人間、学ぶ姿勢を持ってさえいれば、どんなことからでも学びを得ることができるという、僕の信念をお話したいなと思っています。


…。
最も言いたいことはもう書いてしまったので、これ以上言うことは何もないのですが、それじゃあ誰も僕の言うことを信じてくれないと思います。なので、勉強になった!っていうことをいくつか挙げよう…と思ったのですが、あまりにも記事が長くなったので、今回は1つめに絞ってお話をしようと思います。
全3回予定!お付き合いよろしくお願いします。



(その1) 相対性理論

みなさんも、相対性理論は、話に聞いたことがあると思います。かの有名なアインシュタインが提唱した、時空や重力に関する理論です。
相対性理論は、人工衛星の設計でもしない限り、普通の人が普通の生活の中で直接使うことは絶対にありません。ですが、僕は相対性理論を学ぶことを通して、非常に得難い経験をし、いろんな学びを得たと思っています!

それが何かという話をする前に、相対性理論のお話を少しします。
相対性理論の根源に、光速度不変の原理というものが有ります。これは、光の速さはだれが見ても一定であるという原理です。実はこれが結構ぶっ飛んだことを言っているんです!
道端に電球が落ちていたとしましょう。そして、この電球から発せられる光の速さを測れる装置を持っていたとしましょう。その装置で光の速さを測ると、ぼーっと突っ立ってる時も、電球に向かって全力疾走している時も、はたまた、電球から全力で逃げている時も、常に電球から発せられる光の速さの測定結果は厳密に同じ値となります。
明らかに直感に反することです。ですが、現実にはこういうことが起こっています。


速さ = 距離 / 時間

なので、光速度不変の原理が成り立つということは、我々の自然な距離の概念、つまり、空間の概念や、時間の概念は、現実には合わないということです。
実際、光速度不変の原理を用いると、
・観測者からみて運動している物体は、その長さが縮む。
・観測者からみて運動している時計は、その時の刻みが遅くなる。
という現象が予言でき、実際にそういうことが起こります。やはり、我々の直感が間違っているようです。

さて、次の例を考えてみましょう。
奥行き100mの車庫が有ります。そこに、長さ100mの電車が向かっています。
なんとこの電車は、光速の60%の速さ(秒速18万km)で向かってきています。
ここで、電車の先頭が車庫の奥の壁を破壊した瞬間(!)、電車は車庫に収まっているかどうかという問題を考えてみましょう。
(いや、なんでやねんってツッコミがたくさん聞こえてきそうです(笑) ですが、物理学者はそういうことを考えるのが好きなのです。ここは一つお付き合いをお願いします>人<)

車庫の脇に立っている人(逃げて!?)から見たら、電車が運動しているわけなので、その長さが縮んで見えます。その縮み度合いを相対論に基づいて計算すると、電車の長さは80mに見えることがわかります。なので、この人から見たら、電車の先頭が車庫の奥の壁を破壊した瞬間は、20mの差で、電車は車庫に収まっているように見えます。

逆に、電車の運転手(ブレーキかけて!?)から見るとどうでしょう。運転手から見れば、車庫の方が猛スピードで電車に向かってきます。なので、先ほどと同じ計算で、車庫の奥行きは80mに見えます。よって、この運転手から見れば、電車の先頭が車庫の奥の壁を破壊した瞬間は、20mだけ電車がはみ出ています。

さて、矛盾するように思える結論が帰ってきてしまいました。ですが、現実にこの電車と車庫があって、その場所に人がいたら、今言った通りのことをそれぞれの人が見ることになります。
みなさん。これがどういうことだか、理解できますか?

今まで話した話は、全て特殊相対性理論と呼ばれる相対性理論の一角のお話です。ここに登場する数式は、ルートと1次方程式だけなので、中学生でも数式は理解できます。ですが、それの表す物理的意味を理解するのが非常に難しいという特徴があります。
相対性理論をしっかりと理解し、どうしてこのような、一見矛盾した事が起こるのかということを説明できるようになるには、僕達が生まれてから培ってきた素朴な空間、時間に対する見方を捨て去り、現実の物理現象とそれを表現した数式が提示する見方を受け入れる必要があります。

この過程で、僕は非常に大きなことを学びました。
・自分が20年かけて培ってきた空間、時間の概念であろうとも、現実の物理現象や数式にそれを否定されたら、その概念は完全に捨て去らなければならないということ。
・そして、新たに現れた、現実の物理現象や数式が提示する空間、時間の概念を、これが直感に反するものであろうと受け入れなければならないということ。
この2つです。

これは、僕にとって相当厳しいことでした。わかりやすい(?)例えをすると、20年間仲間とともに働きながら培ってきた仕事に対する見方が、ある日突然、直感に反する理論と数式によって全否定され、新しい価値観を提示され、それに従わない者は落ちこぼれる(単位を落とす!)ということです。


この学びを通して僕は、現実に起こっていることが一番偉く、次にそれを表現する数式が偉く、自分の直感はあまりあてにならないと考えるようになりました。
その結果、意思決定の際、自分の根拠の無い直感を信じて暴走することが少なくなり、数字の分析に基づいた判断を下すことが増えたのではないかと思っています。
イアン・エアーズ氏の著作「その数字が戦略を決める」などは、非常に自分にしっくりきたりします。
加えて、あまりサンクコストにとらわれること無く、どんな時点でもよりよい方法が見つかったら、そちらに切り替える勇気が持てるようになりました。
また、抽象的でよくわからない話も、一旦自分の中に受け入れて消化を試みることに抵抗がなくなりました。抽象的な理論を勉強するときなどにはとても役に立ちます。

学びを得ようという姿勢さえあれば、相対性理論なんていう、学者さんしか使わなさそうなものを勉強していても、それなりに実用に資する学びを得ることもできるのです!


今自分が置かれている状況、経験していることも、漫然とそれを受け流すだけでなく、それらの意味や、自分に与えた影響を自覚的に考えてみると、思わぬ学びが得られると僕は思っています。
次回も、思いもよらない所から思いもよらない学びが得られた話をしようと思います。
乞うご期待!

最後までお読みいただきありがとうございました。