人間としての器の大きさ

こんにちは!
今日は杉山がお送りします。


今日のテーマは、人間としての器の大きさの話です。

高校生くらいの頃から、
人間としての器の大きさは、一番近くにいる敵までの距離で決まる。
と思っています。

今日は、そのことについて僕の考えを少し伝えられたらなと思います。

まずは、敵についてです。
私たちは、今まで生きてくる中で様々な競争を経てきました。そのなかで、アイツには負けたくない、アイツには勝ちたい!と思って頑張ってきたこともあるかと思います。そのライバルが敵というわけではありません。競争相手と切磋琢磨して共に高め合えるのであれば、それは敵というより最高の味方だと思います。
ですが時には、アイツには負けたくないと思った結果、どうにかしてアイツが調子を落とさないだろうか、失敗してくれないだろうか、はたまた、足を引っ張ってやろう、なんて思ったことは無いでしょうか。この時の競争相手は、高め合える仲間とは到底言えないと思います。
敵とは、このように、何らかの競争相手であって、その相手に勝つために、相手が「下がる」ことを願ったり、そのために行動してしまうような相手と定義しましょう。

ちょっと例を考えてみましょう。こう思い立ったきっかけは、高校時代の受験勉強に遡ります。
その当時、受験期が近づいてくると、様々なタイプの考え方をする人が現れました。
(A)学校や塾の中でわからないところを教え合い、みんなで合格しようと考えるタイプ
(B)学校の中で(のみ)わからないところを教え合い、学校のみんなで合格しようと考えるタイプ
(C)学校の友達も最終的には競争相手だから、相手を利することはせず、あまり一緒に勉強しないタイプ
などです。

(A)のタイプの人は、受験期にあっても一番楽しそうに勉強していた人で、まわりをサポートしている分、まわりからのサポートも多く受けていました。
(B)のタイプの人は、学校では楽しそうにやっているのですが、塾に行くとあまりいい雰囲気は出さず、若干孤立気味でいました。
(C)のタイプの人は、楽しくやっているとは真反対で、常にピリピリしていて近寄りがたい雰囲気を出していました。

さっきの理論を当てはめて考えてみると、(A)のタイプの人は、通っている塾には敵がいないわけなので、器の大きさは少なくとも東京くらいの大きさにはなるでしょう。(僕は東京出身なので)
(B)のタイプの人は、ひとたび学校を出るとそこには敵もいるので、だいたい隣の学校までの距離くらいの大きさの器になります。
そして(C)のタイプの人は、学校に行けば隣の席にもう敵がいるので、大体1mくらいの大きさの器ということになります。

いかがでしょうか。
それでも、僕は(C)のタイプの人を責めることはできませんでした。その人は、その人なりに自分を追い込んで圧倒的に努力していて、その結果、その苦労に耐えかねて少し目線が狭くなってしまっただけだと思います。(実際もともと普通に良い奴だったので)
もともと脳天気な性格でずっとヘラヘラ生きてきた人間は何もいえません。
ですが、そういう姿を見て、自分の器は大きく持とうと思うことにしました。


読者の皆さんはどうでしょうか?
キレイ事では済まないこともある社会の中で活躍していると、敵が現れることもあると思います。
僕にはまだまだわからないことも多いでしょうが、社会に出ても器は大きく持ちたいと思います。


最後に、これを読んでいる就活中の方へ。
就活をしていると、ついつい器が小さくなってしまうことがあります。例えばグループディスカッションなどでも、人事の目に留まらなければ!と焦ってしまうと、あなたのその時の器の大きさは隣の人までの距離、だいたい50cm位になってしまいます。
当然、そういう状態は人事の方の目にもとまりますし、自分の器が50cmになってしまってはあまり生産的な議論ができなくなってしまうのではないでしょうか。
人事の方は器の大きさも見ています。小さくならないよう心がけるといいかもしれません。

就活というのは、その構造上、心理的に良くない負荷を、そして強い負荷を、長期にわたってかけてくるような性質を持っています。
ですがそれに押しつぶされず、自分の器の大きさを保って、できることなら楽しく駆け抜けてほしいなと思います。


以上です。それではまた次回、お目にかかる日まで!

ABOUTこの記事をかいた人

杉山 聡

博士(数理科学) 2016年10月から Atrae に join し、 Green の marketing を担当した後、現在は wevox の data scientist として従事。 北里大学の島津研の特別研究員としても活動しており、 work engagement 関連の研究に参加している。