Wevoxのエンジニアの土屋翼です。
新卒でアトラエに入社して、丸3年が経ち、この4月から4年目になりました。早いものです。
今回は、最近個人的にハマっているフレーズである「そこに愛はあるんか?」という問いについて考えてみようと思います。
このフレーズ自体は某社のCMでお馴染みの言葉になりますが、
日々の業務を行う上で、この問いを投げかけ続けることで、
業務上のコミュニケーションの問題のほとんどが解決に向かうのではないか!?と、最近本気で思ってきたので、そちらについて書いてみます。
業務上のコミュニケーションでのあるある
仕事を進める上で、こんなことはないでしょうか。
・短納期すぎたり、無茶振りとも取れる業務のパスが飛んで来て、 うっ… と感じる
・仕事の進め方やペースが自分と合わなくて、もどかしく感じる
・FBや議論が攻撃的に見えて、怖い / ショックだ と感じてしまう
これらは、物事を本気で前に進めようとする限り、
人間同士がやり取りをする限りでは、いつでも起こり得ることだと思います。
そんな時に、互いのコミュニケーションに対して「そこに愛はあるんか?」と問いかけてみます。
全ての受信/発信に対して、「そこに愛はあるんか?」と問うてみる
上述の、業務上のコミュニケーションあるあるのうち、1つを例にとって、
「そこに愛はあるんか?」と問わないパターンと、問うパターンを比較してみます。
■ 「そこに愛はあるんか?」と問わないパターン
・短納期すぎたり、無茶振りとも取れる業務のパスが飛んで来て、 うっ… と感じる
↓↓↓
リアクション①:
いやいや厳しいでしょ… とりあえず跳ね返そう
≒ 何かの事情で一時的に余裕がないだけの可能性もあるのに、無下にしてしまう
リアクション②:
そもそもこの業務について理解していなさそう… これは面倒だから巻き取ってしまおう
≒ 進め方自体をFBをした方が絶対に良いのに、対話やFBを諦めてしまう
(自分が、①②のどちらもやったことあるのは、内緒です…w)
■ 「そこに愛はあるんか?」と問うパターン
・短納期すぎたり、無茶振りとも取れる業務のパスが飛んで来て、 うっ… と感じる
↓↓↓
当該の業務依頼や依頼主に対して、「そこに愛はあるんか?」と、まずは自分の中で考えてみる
↓↓↓
リアクション①:
どうやら愛のあるパスではなさそうだけど、一時的に余裕がないタイミングなのかな?
こちらの愛で以って、フォローをして、情報が足りていなくても汲み取ったり、今回は自分が+αの動きをしよう!
リアクション②:
これは一時的に余裕がないからとかではなく、そもそもこの業務を理解し切っておらず、進め方として良くなさそうな気がするぞ
こちらの愛で以って、あえてフォローをせず、こういう情報と共にこう連携してもらわないとわからない、と伝えよう!
「そこに愛はあるんか?」と問わないパターンと、問うたパターンでは、随分違うリアクションになりました。
※ 全部が全部フォローすれば良い、というわけではなく、跳ね返すパターンもあるのも地味にポイントな気がしています
上記は、業務上のコミュニケーションを取る上で、
受信をした時に、「そこに愛はあるんか?」という問いを元に相手の状況を想像し、
発信をする時も、自分がする行動や言動に対して「そこに愛はあるんか?」と問い、
本当に相手のためを思って愛を持った行動しているか?
易きに流れて、無下にしたり、対話やFBを諦めてしまっていないか?をチェックする、ということの例でした。
仲間であれば愛はある、という大前提に立つ
少し観点を変えて・・
大前提として、アトラエには自分が楽をしたいからと無茶振りを仲間に押し付けたり、無闇に仲間を攻撃したりするような人はいません。
コーポレートサイト にも記載のある、
「世界中の人々を魅了する会社を創る」というVisionと、
「大切な人に誇れる会社であり続ける」というPhilosophyに共感し、
数ある会社の中から、アトラエに入社を決めているという時点で、
その大前提は疑う余地がないと思っています。
そんな中でも、同時に理解しておくべき前提として、
・プレッシャーや不安から、心身ともに余裕がない時
・単純に疲れている時
・公私問わず、直近で何か良くないことが起こった時
などなどに、コミュニケーションを行う上で、瞬間的に愛を持ちきれないタイミングもそれぞれある、ということも、また事実かと思います。
そんな時に、
受信側が「そこに愛はあるんか?」「あっ、恐らくいま瞬間的に愛を失ってるタイミングなのではないか…?」と歩み寄ることが、1つ重要なのではないかと思います。
また、同時に、自分が愛を失いそうなタイミングで発信側に回った際に、
コミュニケーションの直前で「そこに愛はあるんか?」と、
自分自身がしようとしている言動や行動に対して問うてみて、
立ち返り、修正することもまた重要なのではないかと思います。
「そこに愛はあるんか?」が促進してくれる “想像力”
また、「そこに愛はあるんか?」と問うことの副次的な効果として、健全に想像する癖がつくようになるのでは、とも思います。
・なんで、こんなエグいパスをねじ込んで来るんだ…?
・なんで、この人は全然返信が返ってこないんだ…?
・なんで、この人は協力してくれないんだ…?
・なんで、こんなに詰められなきゃいけないんだ…?
などなどを感じた時は、
「そこに愛はあるんか?」という問いを起点に目一杯想像力をはたらかせて、
その相手の真意を知りにいこうとし、
その人の取り巻く状況を理解しにいこうとすれば、必ず背景があるはずです。
大抵の場合、
・上述したような、その人自身の事情で「瞬間的に愛を失っている場合」
・愛を持って、「あえて厳しくしている場合」
の2択かなあと思います。
前者であれば、こちらが愛を持ってフォローをすればいいですし、
後者であれば、真意を想像し、わからなければ直接確認をして、自身の業務のどこかに非があったのだと振り返れば良いのみです。
まとめると・・・
・大前提、仲間なんだから愛はある
・しかし、自分には見えていない様々な事情で、愛を失うタイミングもある(人間だもの
・そんな時は、自分の愛で以ってフォローしよう
・そのために、全ての受信/発信に対して「そこに愛はあるんか?」と問いかけて、想像してみよう
今回言いたかったのは、この4行ですw
勿論、自分もできていない場面がまだまだ多いので、これからも試行錯誤を続けていきたいです。
(ここからはおまけです)
瑣末なTipsですが、夕方から夜にかけては、その日1日の疲労から、愛を失う可能性が上がるのではという仮説があります…笑
そのタイミングで直接議論等を始めるとぶつかりやすいので、
自分は普段は夜は早めに帰宅して、その後は一呼吸置きやすいオンラインコミュニケーションに切り替えるようにして、そうすると丁度良い感じになるかも?と思っていたりします笑
これもおまけですが、
「そこに愛はあるんか?」の後に、
「その愛は伝わるんか?」という問いも大事なのでは、とも最近思っています。
仲間に愛を持って接することができて、
仲間の愛も信じられていて、
場合によってはフォローし合うことができていても、
本当にその愛は、そのコミュニケーション量ややり方で伝わってる?ということを、相手に応じて振り返ることも大事だなと。
そうしないと、予期せぬ伝わり方をしているケースもしばしば…
この「その愛は伝わるんか?」についても、機会があれば書いてみたいなと思ったりしました。
今回は以上です!
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