感動の裏の人知れない努力。

今回の記事は青野が担当します。

先日の女子W杯決勝、見ていた方も多いと思います。僕もなでしこジャパンの試合は数試合しか見たことのないにわかファンなのですが、生放送で応援しておりました。
選手たちの絶対に諦めない気持ちが劇的な同点ゴール、PK戦での勝利、そして優勝に繋がりました。早朝から叫びつつ鳥肌をたてつつ、とても誇らしい気分になりました。
選手たちの活躍は、多くの人に「感動」を与えたと思います。僕のような何もしていない人間が言うのは誠におこがましいですが…
…と、素直に喜んで終わるはずだったんですが、試合後に為末大さんがtwitterで以下のようなことを言っていて、少し思うところがありました。

感動には長い準備がある。準備は自分達でさせる。そして感動はみんなで分け合う。それではあまりに切ないんじゃないかと思う。世の中がほんの少しだけでも準備を共有するだけでいいのに。(後略)

一体のどれほどの労力と時間をマイナー競技のアスリートが支払っているのかは知られていない。(後略)

確かに、準決勝くらいまで女子W杯の存在すら知らなかった人も多いだろうし、彼女たちの日々の努力なんて当然知られていない。考えてみたら、メジャーな競技であるプロ野球選手の努力ですらそこまで知られていないでしょう。一部の人を除き、ほとんどの人が「結果」しか見ないんですよね。「感動」という結果の裏には血の滲むような努力、様々な犠牲といった準備があるのに。為末さんの言っているように、その準備を共有できる世の中になればいいかと思いますが、中々難しい気がします。
そんなことを考えていたら、先日同期の井端が書いていた記事を思い出しました(→コチラ)。自分がいくら力を注いで作ったサービスでも、ユーザーが重視するのはそんなプロセスではなく、「使いやすさ」「何ができるのか」といった結果なんですよね。自分がこれから入っていくビジネスの世界も「結果・成果物しか見られない」という点では同じで、シビアなんだなあと今さらながら思ったわけです。
※もちろん、例に挙げた競技スポーツの世界とビジネスの世界は全く異なるものであり、同列に並べて考えていいものではないとは理解しています
「サービスで多くの人に感動を与える」。口で言うのは簡単ですが、実現するのは本当に難しいことなのだと思います。そもそも自分の周りの知り合いに対して感動や勇気を与えるのだって中々できないですから。全く知らない人に同じことをするのはより難しいのでしょう。
そして、その実現には顧客に評価してもらえない泥臭い陰の努力が必要。しかも、それが必ず報われるわけでもない。ビジネスをしている人は当然知っている初歩的なことなのでしょうが、そんなことを改めて考えさせられた出来事でした。
以上のことを踏まえつつ、努力が実らないからといって気持ちを折らすことなく働いていきたいと考えています。ゆくゆくは多くの人が認める成果物を出してみたいものです。

ABOUTこの記事をかいた人

Yusuke Aono

2012年新卒入社のエンジニアです。ビジネスマッチングアプリ「yenta」の開発をしています