浅草キッドから感じた目の前のコトに必死になれる強さ

今回は新卒4年目・Greenでエンジニアをしている櫻井が担当します。

Netflixで配信中の浅草キッドという映画を見て感じることがあったので、テーマにしました。

映画の中の内容に基づいてお話をするので、まだ観てない方にとってはネタバレになります。ご注意ください。

必死な姿勢が人を動かす

浅草キッドという映画はビートたけしが自身の師匠である芸人・深見千三郎と過ごした青春をつづった自伝「浅草キッド」を映画化したものです。

劇団ひとりが監督・脚本を手がけ、多くの人気芸人を育てながらも自身はテレビにほとんど出演しなかったことから「幻の浅草芸人」と呼ばれた師匠・深見や仲間たちとの日々と、芸人・ビートたけしが誕生するまでを描いた青春映画です。

Netflixで公開された当時はビートたけしの自伝とは知らずスルーしていたのですが、M-1を観ていた最中にCMが流れてこの映画はとんでもない熱量で作られていそうだとCM越しに伝わってきてM-1が終わってすぐ観ました。

期待通りの熱量と迫真の演技から伝わってくるものがあり、とても満足度の高い作品でした。

この映画を通して印象に残ったことが2点あります。

①師匠の教えを忠実に学ぶ姿勢

主人公のタケシは師匠のコントに憧れ、そのコントを学ぶために大学を中退し、演芸場にエレベーターボーイとして働き始めました。

ある日、師匠に芸人になりたいと直談判しますが芸はあるのかと問われ、ないと答えると芸のないものが芸人などできるかと一蹴されてしまいます。

ですが、タケシはそこで引かずに「師匠のコントが一番面白いからここにきました」と師匠に伝えます。その日以降、師匠はエレベーターを乗っている際にタップダンスのステップを何も言わず踏みます。

タケシはそのステップを盗みながら、練習を始めます。

このシーンを見た時に思ったことがタップダンスへなんの迷いもなくのめり込めるタケシの姿勢が素敵だと思いました。

何となく最近の若者(自分も若者ですが)だと、「自分はコントを学びに来たのにタップダンスを学ぶことに何の意味があるのか」とか「タップダンスを学ぶことはコントができるようになるために効率的じゃない」とかはたまた師匠がステップを踏んでくれていることにも気づかない人すらいそうです。

②タップダンスの練習に脇目も振らず取り組み続ける姿勢

師匠からステップを盗んだタケシは朝から夜まで掃除や雑用の合間を縫ってはタップダンスの練習に励んでいました。師匠は新しいステップをエレベーター内のみならず廊下ですれ違う時や時にはトイレで用を足している時にでさえ、踏むようになりました。

タケシはどのステップも取りこぼすこともなく、着実にタップダンスができるようになっていきました。

このシーンを見て、言わずもがなですが必死に励み着実に成長していくことで師匠の期待を高めていくほど努力している姿勢がとても印象的でした。

何か物事に取り組む際には圧倒的に挑戦していくことで周りの期待感を醸成し、更なるチャンスを掴んでいけることを改めて感じたシーンでした。

この後、師匠がたまたま忘れたタップダンスのシューズを勝手に借りてお客さんのいない舞台で勝手に踊っているところを師匠に見られ、怒られます。

が、最後に次の日から舞台に上がれと一言もらい、そこからタケシは舞台に上がってコントやお笑いについて師匠から徹底的に叩き込まれていきます。

いつの間にか必死になれていない?

自分がここまで浅草キッドに強い印象を覚えたのはここまでの貪欲さを持って目の前のことに必死になれていなかったのではないか?という思いが出てきたからかなと思いました。

昔から自分の行動の傾向としては何かに憧れることやこうなりたいという未来を想像してそこに対してワクワクしながら取り組むことが多いと思っています。

その際に何となくこういう段階を経てなっていくんだろうなとぼんやりと道筋を立てるのですが、その筋が結果的に悪影響を及ぼすことがあります。

具体例を上げますと、将来は世界中の人が使うレベルの本当に価値があるプロダクトを作りたいという想いが学生時代の頃からあります。

エンジニアからキャリアをスタートさせ、段々と企画や戦略側のことを考えることが増えていき、ゆくゆくはプロジェクトリーダーとして活躍するような風になるんだろうなあとイメージしていました。

僕の場合はこのイメージのせいで無駄に立ち止まっている期間があったように思います。

Greenのエンジニアとして貢献できることや先輩からチャンスを頂いてることに対して向かい、行動しているものの心のどこかで「なんかこのままだとすごいテッキーなリードエンジニアみたいなことになるんじゃない?」だとか「自分の理想像だとそろそろ企画にもチャレンジできていないとダメなんじゃないか?」とか思っていました。

特に自分が良くなかったのはこれらを考え始めると、こういうことが必要なんじゃないかな?みたいなことを考え始めて目の前のやるべきことや期待されていることに対してのプライオリティが無意識のうちに下がり進むペースが落ちることでした。

こうなってしまった原因はあげるとキリがなく、イメージに固執していたこと・アトラエを創っていくという過程と自分の理想を描く過程を両取りする道筋を具体的かつ適切な道筋ではなかったこと・今の自分ができること、できないことの分別がついていないこと・チームや事業の状況を考慮した上でのイメージにアップデートできていなかったこと・そもそも目の前のことに必死になれてないと思っていなかったなど夢を見ているだけの状態になっていました。

進み続けるために

逆算して考えることや未来を想像してワクワクすることは大事なのですが、それ以上に目の前のことに必死にならないと前には進みません。

そういった経験から改めてタケシの必死さが自分に向かって「お前はここまで必死にやれてるか?」と問われているような気がして印象に残ったのだと思います。

常々、意識しようとも惰性する方向に進んでいってしまうのが人の性かなと思うので定期的に自分を鼓舞するような作品に出逢ったり、人と話すなど良い循環を生む仕組みを作って目の前のことに集中していこうと思います。

今回は浅草キッドを見ることを通して、必死になることの大事さを見つめ直す良い機会となりました。

何か立ち止まりそうなった時や更なる自分のエンジンのガソリンが欲しいと思った際には浅草キッドを見てみてください。

ABOUTこの記事をかいた人

櫻井 啓裕

2019年入社のエンジニアです。 2019.4~ wevox / 2019.10~ Green 弟が入社してきて裕士と呼ばれるのに対し、僕はいつまでも櫻井です。 昔からあだ名がつかないのでそういう性なのかもしれません。