卒論を書いていて感じたこと

今回は井端が記事を担当します。

今月20日に卒業論文を書き終わり、
「とりあえず終わったし、今後論文書かないしもうどうでもいいや」
で終わらせたくないし、何点か論文に限らず大事なことだと
感じたことがあったのでまとめます。

1、自分が戦う土俵を注意深く選ぶ

自分が戦う土俵を注意深く選ぶことはかなり大事だと感じました。
僕の場合、最初は単純に
「自分が興味があるかどうか」ということだけ考えていました。
もちろん興味があることは大前提だと思います。
しかし、それだけでは不十分なことに気づきました。

まず、「それは本当に自分が時間をかけてやりたいことなのか」を考えること。
そもそもこれが揺らぐ場合は、
モチベーションが下がったときに頑張る力が出ませんでした。
僕の場合はこれがうまくいかなかったので何度もテーマの設定をし直しました。

次に、「実現できるのか」を考えること。
アイディアを出す段階は楽で楽しいですが、
実際に書くと「この案考えた奴(自分)はアホか?」と思うほど大変でした。
内容は示したい最小のものに抑えて、まずは完成させ、
本当に必要のみ内容を追加するがベストだと思いました。

また、「敵がいないか」を確認すること。
すでにその分野の達人が議論し尽くしたトピックを選ぶと悲惨です。
そもそもすでに結論が出ているのであれば研究の必要がなくなります。
ユニークかつ新しい分野やアプローチを探すことが、
その後の研究の進み方に大きく影響しました。

僕は、論文提出締め切り日の前日に、
自分とほとんど同じ研究をしている論文を発見しました。
相当ガックリしました。「俺の論文、意味なくね?」と。
幸い若干アプローチが違った(と信じています)のでそのまま進めましたが、
もっと先人に学ぶべきだったなと痛感しました。

2、常に軌道修正する

次に、自分が書いた文章も時間が経てば(研究が進めば)
「なんかこれおかしいぞ」
と感じることが多々あるということ。
「自分が書いた文章なんだから内容覚えてるし大丈夫」というようには行かず、
常に「本当にこれで大丈夫か」と疑うことが必要だと思いました。

論文を書いている間、僕は「窒息」に似た窮屈な感覚をずっと持っていたのですが、
おそらく、この「本当にこれでいいのか」と考え続けることに
疲れていたことが原因なのかと思います。

でも、最終的に納得のいく成果物を得るには
これは絶対に必要なことだとも感じました。
時間が経って「なんか変」と思うのは、
時間経過によって客観視できるようになったからであって、
その時に感じたことをちゃんと作品に還元できるのかどうかが、
最終的な出来の違いなんでしょう。

この「これで大丈夫か」という感覚を持ち続けることの大変さと、
そのモチベーションを維持する方法を考える機会があったということは
なかなか貴重な経験だったのかなと思います。

3、「本当に必要か?」を考える

(2点目と少し重複しますが)内容を常に「スリム」に保つことも大事なと感じました。
「あまり必要ないもの」を捨てて、「必要なもの」のみを入れること。

何より、その方が作業しやすい。
何をどこに書いたのか思い出しやすいし、手直しも楽にできました。
また、読む方も内容を追うのが楽。
書く方はわかっていても、読む方が理解できなきゃ意味ないので、
スリムであることが親切ですね。

幸い、僕の場合は字数指定がありませんでしたので、
ガツガツ文字数を削ることはできました。

スティーブ・ジョブスが何かのインタビューで、
「最高の製品とは、これ以上機能を【追加】できないものではなく、
これ以上機能を【削れない】ものだ」というようなことを言っていましたが、
論文を書くことにおいても当てはまるような気がします。

4、「氷山の一角」を必至に作る

論文を進めるにしたがって感じたのは、
「成果物は、中間生産物の一部にすぎない」ということ。
過程でどんなに生産しても、
最終的に目に見える部分は本当に少ないものですね。

卒論を始める前は、「頑張った分だけ、
そのまま成果になる」くらいに考えていました。
しかし、実際にはグラフ一つ作るために
膨大な時間をデータ収集に費やさないといけないし、
たった一つの文章の正当性を確認するためだけに、
様々な参考文献を当たらなきゃいけない。

これに気づいて、今まで読んできた論文やら本やらも、
相当時間をかけて、脂肪を削った結果、
やっと世の中にでてきたものなんだなとしみじみ感じました。

。。。大体感じたのは以上のようなことです。
この気付きをどこまで普段の生活に落とし込むのか次の課題ですね。

おわり