松廣が担当します。
一つ前のブログで森山さんが意思決定について書いてましたが、私も意思決定について思うことを書こうと思います。
最近、以前より意思決定する機会が増え、個人的に思う初歩的ではあるものの重要だと思う意思決定の基本について書きます。
それは、「意思決定の背景を明確に語れること」と「意思決定によって捨てたもの・これから捨てなければならないものを理解すること」です。
それぞれ説明します。
まずは一つ目の「意思決定の背景を明確に語れること」について。
いきなり昔話ですが、私は社会人になって仕事を始めたときに、
今までは本当に何も深く考えずに行動してきたんだなあとこれまでの自分に驚かされたことがありました。
その理由が意思決定の背景が全く明確ではなかったからです。
普段生活している中で人間は思った以上に物事を決めて行動しています。
「朝何時に起きて朝食を何時に何を食べるか」というのも一つの意思決定だと思います。
仕事の中でも実は無意識化で決定を下していることが少なくないと思います。何となく言われたことに対して、「Yes」と答えてしまい間違った方向に進んでしまった苦い経験として未だに思い出します。
とはいえ、全ての小さな行動や決定を気にしすぎていては何も進まないので、過度な意識は不要かもしれませんが、やはり仕事においては一定敏感であるべきだと私は思います。
仕事をしていると、基本的には「どちらかと言えばやったほうが良い」と思えることが本当に多いです。故にちゃんと今のリソースや組織やプロダクトの状況を鑑みて、あえて何をやるかを決める必要があります。
この時に、数ある選択肢の中から何故この意思決定にしたのかを深く理解し、他人に説明したり、議論できるくらいには最低限なる必要があります。
個人的には、他人から自分の意思決定について意見をもらった時の内容が
自分では想定出来ていなかった選択肢だったり、他人の強い意見に対して
真っ向から議論できない時点で、まだまだ意思決定としては甘かったなと反省の基準を設けています。
次は二つ目の「意思決定によって捨てたもの・これから捨てなければならないものを認識すること」について。
意思決定とはつくづく決断に近い意味を持つと感じます。字の如く何かを断つ必要があることが多いと思います。分かりやすい事例で説明すると、チームで高い目標を掲げたとします。
この意思決定には、例えば、
周りの社会人や友人が遊んんでいる時であっても、自分たちだけは目標達成に向けて努力をし続ける必要があるかもしれません。こういうある種の苦しみが待っていることも多々あるので、意思決定に伴いどういう変化が起こるのかをどれだけ初めに想像できるかがまずは大事だと思います。
そしてこれまでの経験上、想像するだけでも足りないケースも多いです。先ほどの高い目標を掲げた場合に関しても、自分が想像したある種の苦しみは間違いなくやってきます。意思決定を下したそのタイミングで、自分がそれに対してどう向き合えば、決めたことを貫き続けられるかまで解像度高く想像をしておくべきです。
社会人にまでなると、何となく自分がどんな人間であるかは理解していると思います。「今回の自分はやれるはずだ!」と意思決定を単なる決め事とせず、自分に向き合った意思決定をするべきです。
また、組織で働いていると自分ひとりではなくチーム全員で意思決定することも多いでしょう。その時に、そのチームを構成する個人それぞれが、どれだけ解像度高く理解をして決定を下しているかが大切だと思います。
単に決める事はさほど難しいことではないでしょう。
そこに、どれだけの覚悟があるかが大事なのではないかと思います。
今回は以上です。
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