モノに所有されること

こんにちは、13卒内定者の藤原です。

今日は、この前知って興味深かった考え方、
「Things own people」について書きます。

まず概念として、人がモノ(家・電化製品・えんぴつ・・・)を
所有していると考えるのがふつうですよね。
では、モノが人を所有しているとは・・・?

後から、友人との議論で、ふたつのアイディアに波及する結果に至ったので、
 ふたつ紹介します。(根本的には同じ考えです)

1、発展性の少ない、マニュアル型

本来、モノというのは、人が何かをするための手段として、支配し使っていて、
モノをどう使うかは自由なはずです。
(例えば、果物ナイフをえんぴつ削りに使う。ペットボトルを水筒代わりに使う。)
それなのに、取扱説明書を隅々まで読んで、
間違った使い方を許さない、「正しい使い方」以外はできない人がいます。

だけど、そもそも「使い方」「マニュアル」は、製品としてあってはいいけど、
それに使用者が支配されるのに違和感を感じるのは私だけでしょうか。
(果物ナイフは「果物を切る」以外には使ってはいけないの?)

もちろん、 じゃあ、果物ナイフで人を刺していいのかと聞かれたら、それは違うので、
絶対にしてはいけない最低限のルールは必要だと思います。
しかし、最低限のルールさえあれば、後はどう使おうが勝手だと思うのです。
(もちろん、製品の目的外での使用による損益で、製造会社を訴えないという前提)

そして、そういうモノの最低限のルールを子どもに教えることこそが
大人の役目だと思うのです。
逆に、最初から、してはいけない最低限のルールだけを教わっていたら、
もっと使い方に発展性があって、いろんなアイディア形成を促進するのでは、
とまで私は考えます。
そして、子どもの創造性を伸ばすのではないでしょうか。
究極の例は、高級な家具のある部屋を持っているが、
部屋・家具を傷めないよう、入室禁止、カーテンも閉めっぱなし。
大事なのは「所有していること」 。

指示されないと、何もできないような「マニュアル人間」(死語?)も
そういうことなんでしょうね。
自分で何かの使い方を考えるチャンスを与えられてこなかったため、
イマジネーション力が発展しなかったのではないでしょうか。

2、目的と手段の倒錯

主に、物欲と関係するかもしれませんが。

究極の例は、高級な家具のある部屋を持っているが、
部屋・家具を傷めないよう、入室禁止、カーテンも閉めっぱなし。
大事なのは「所有していること」 。

あるいは、 車を所有・維持するために働きすぎて、車に乗れないこと。

誰にでも少しはそういう傾向があるかもしれなませんね。

消費社会、消費主義の中で育つと、
自分がいかに無意識に煽られ、必要でないものに執着させられているか
自分でも気づきません。

お金の使い方は自分の価値観ですが。

だからどうってことはないのですが、
Things own people には何か滑稽な気がしませんか?
かくいう私も、しばしばモノに所有されていると感じます。
本来の People own things, モノ中心ではなく、自分の意志で生きたいものです。
あるいは、一切モノに執着しないのが一番理想かもしれませんね。

1 個のコメント

  • すごく面白く読みませてもらいました!

    僕は同じようなことを「外国語」という言語(ツール)にも思っています。

    「その言葉を話せるから、その言葉を使うような職業に就く」

    一見普通の考えで、就活の時にはよく聞く意見です。
    でも個人的にはおかしいなと思っていて、言語ってのはあくまで何かの目的を達成するために「使う」ものであって、「目的」ではない、と思うからです。

    「職場でその言語を使えるから、その職に就く」というのは、僕的には言語というツールに使われているような感覚で、少し違和感を感じます。
    「それって本当に自分の人生を使ってしたいことなの?」と。

    ちょうど同じようなトピックが出たので共有させていただきました。