「能ある鷹は爪を隠す」は本当か?

今回は井端がブログを更新します。

只今留学の4週目でいよいよ終わりが見えてきて、非常に寂しい気分です。
今回も留学中に考えたことを書こうと思います。

今回の内容は、文化の違いに関することです。

私が参加しているプログラムは「文化交流」ではなく、アカデミックな研究をするプログラムです。
よって、多くの専門知識が必要だったりします。
しかし、参加している生徒の多くはpoliticsが専門ではないので当然その知識はありません。
なので教授は専門的なトピックに触れるたびに「これ知ってる人いる?」と聞いてきます。

すると躊躇いながらも何人かの生徒が手を挙げて答えます。
自分の答えに自信がないケースが多いので、答えを知っていても手を挙げないこともあります。

日本では、そのような状況でみんなが手を挙げなくても「他の人もそれなりに理解しているだろう」と解釈することが多いと思います。
よって手を挙げなくても損をしません。
むしろ、「変な返答をして間違っていたら恥ずかしい」という考えから、手を挙げないことが最善の策だったりします。

しかし、アメリカでは「手を挙げない=何も知らない」というのが一般的な解釈だという印象を受けました。
「知っていたらそれを主張すべき、主張しないなら何も知らない」ということになります。

換言すれば、
「自分が何か「価値のあるもの」(この場合は情報、知識)を持っていたら、それを表現すべき。もし表現しないなら、その「価値のあるもの」は存在しないに等しい。」
ということです。

日本には、古くから「奥ゆかしさ」という概念があります。
これは、「すぐには内面を見せず、適度に自分に関する情報を隠すことが魅力的である」ということと理解しています。
私が気づいたのは、この「奥ゆかしさ」という概念は非常にローカルな概念である、ということです。
「ローカルだからやめるべき」という短絡的な結論を出すつもりはありません。これは日本の伝統の一つで、文化として重んじるべき側面です。

しかし、これを日本以外の国の人に拡張すると、非常に損をするということはしっかり確認しておきたいと思います。

タイトルに書いた諺は、この日本の美学を表していると思います。
しかし、日本以外の国を考えれば、「能ある鷹は爪を見せる」の方が適切だと思います。爪を見せない鷹には誰も関心を持たないからです。

日本では「出る杭は打たれる」と言われるように、下手に自分のadvantageを表現すると批判されてしまう文化があります。よって、この点に関しては他人に不快感を与えないような工夫が必要だとは思います。

※私が尊敬する安河内先生(某予備校講師)は「これからの日本では『能ある鷹は爪をチラっと見せる』の方が適切だ」と仰っていました。これは私がここで書いていることを日本に適応した秀逸な表現だと思います。

内容をまとめると、
自分の価値はしっかり表現しないと損をすることがある。だから状況を見極めて、主張すべき内容はしっかりと主張すべき。
ということになると思います。
この点で私は現在非常に苦労していますが、少しずつ対応できるようになってきていると思います。

【井端の試行錯誤】
「聞くことに集中する」

現在留学していて本当に大事だと感じることは、「聞くこと」です。
私は「話す能力」の方が大事だと思っていました。
しかし、相手の話を聞かないと返答できません(至極当然ですが…)。
私は、比較的流暢に返答できる時と、返答するためのセンテンスが出てこない時があります。
時間がたって気づいたのは、後者は話をしっかり把握していないときに起こるということです。

この点に気づくまでは、「ああ、俺の話す能力はこんなに低いのか」と毎回落ち込んでいました。
しかし多くの場合、返答の仕方は問題ではありません。重要なのは「内容」です。
しっかり相手の話を聞いて、「内容」をしっかり伝えられれば、相手は私を評価してくれます。

よって、会話の際には「聞くこと」に全力をそそぐべきだと思います。

※文章中の画像は、以下のサイトより拝借。
http://www.cclc.org.tw/Encyclopedia/eagle/home.htm

1 個のコメント

  • 本当にそうだよなー^^!!

    自分が何か「価値のあるもの」(この場合は情報、知識)を持っていたら、それを表現すべき。もし表現しないなら、その「価値のあるもの」は存在しないに等しい。

    勉強になります^^!!