留学で考えたことと悩んだこと

井端です。

何度も留学の内容で申し訳ないのですが、
自分なりに消化したいことなので、もう一度学んだことを確認するためにかきました。
なるべく正直に書いたつもりです。



①第一印象が認識の大部分を形成する
 今回のプログラムで痛感したのは第一印象の重要性です。これはアメリカという国に限らないことだと思いますが、今回のプログラムでは、私は第一印象の形成に失敗したと感じました。プログラムが始まった直後は、海外での授業への緊張や、「自分の言葉は通じるのか」と不安が多く、知っていても発言する勇気がなく、あまり発言しない時期が何日か続きました。何日か経過した後に、やっと慣れてきて、自信を持てるようになり、授業で比較的抵抗なく意見を言えるようになりました。
 しかし、この時にはすでに集団の中にそれぞれの生徒に関する認識が出来ていました。私は最初の週に発言が少なかったために「授業に感心のない(または話す能力が低い)生徒」という認識を持たれてしまいました。その後できるだけ質問をし、自分が知っている知識を共有したつもりでしたが、その後私の印象が大きく変わったとは思えません。「人は『現実』ではなく、勝手な『印象』に基づいて行動する」ということを、現地の教授が一番最初の講義で言っていたのですが、本当だなと思いました。
 この経験から、新しい集団に加わるときには、かなり意識的にでも第一印象を自分で形成する必要があることを痛感しました。


②「リーダーの資質」と「結果への執着」
 ①で、私は最初は自分の能力に自信がなくて発言できなかったことを述べました。この時に同時に感じたのは、他の学生もほとんど同じような状況にあったこと(他の多くの学生も最初は発言が多くはありませんでした)、また、そのような状況の中発言した学生が、その後そのクラスのリーダーとして認識されていたことでした。自信がなく、何が正しいのかわからない状況で、自分の意志を通すことの大変さを学んだと共に、その壁を超えなければ集団の信頼を得ることはできないことを知りました。
 また、このような状況はいつも突然訪れることに気づきました。いつも準備の時間はなく、その危機的状況が終わった後で、「あの時にもっと積極的に行動すべきだった」と後悔しました。何事も準備は必要だと思いますが、「準備する時間がなく、なおかつその時に最高のパフォーマンスを要求される」ようなタイミングも確かに存在することをこの時に痛感しました。
 ここまでは国に関わらず共通の認識だと思いますが、プログラム中に「リーダーとは」という部分で日本との違いを感じたので、それに関しても共有したいと思います。その違いとは、『結果』に対する関心の高さです。アメリカでのリーダーは、日本でのそれよりも、「結果」を多く求められる印象を強く受けました。日本では、どちらかというと「プロセス」が重視されることが多いのではないかと思います。よって日本人的には「彼(彼女)は頑張った」という評価でも、結果が伴っていなければ、アメリカでは同じ人物に対する評価が非常に低くなる、という場面を多く見ました。よって、将来このような環境で勝負しなければならなくなった時、結果に対する執着がもっと必要になると感じました。
 また、ここから感じたのは、結果に対する強い執着心がクリエイティブなアイディアを生み出すということです。留学中に多くの政治家の方とお話しさせていただいたのですが、いつも彼らのクリエイティブな考え方に驚きました。「政治家」と聞くと、前例主義、慣例主義というイメージの方が強かっただけに、私は非常に驚きました。そして、何故なのかを考えた時、この「結果」への考え方の違いが頭に浮かびました。「何としても達成しなければならない結果があるから、客観的には不器用なやり方でも挑戦してみる」という姿勢を感じました。そして、すごくカッコいいと思いました。と同時に彼がリーダーという立場にあることを納得しました。



③「他人との差異に寛容」=「自分の能力は見せない限り何も評価されない」
 また今回私が悩んだ点として、「表現の考え方の違い」があります。日本では多くの場合に、あまり自分の能力を誇示するような振る舞いをすると嫌われてしまう傾向が強いと思います。「出る杭は打たれる」と言われるように、他人と異なることを強調しないように生活しないといけない空気が少なからずあると私は感じます。しかし留学中の授業では、良くも悪くも、真逆でした。日本では「うざい」と思われるような発言や行動(つまり大多数の人が取らないような行動)も、基本的に正当に評価されます。周囲の人からの同化圧力を感じない分、非常に過ごしやすいと思いました。しかし同時に、自分が知っている(持っている)知識や能力をはしっかりと表現しないと、なめられてしまいます。おそらく「彼、彼女は私と違って当たり前」という考えが根底にあるのがその理由だと思います。「違い」を理由に嫌われることは少ないが、共有部分が少ない為に、個人は自分を表現する義務がある、というのが彼らの考え方なのだと思います。私はこの点を頭ではわかっていたのですが、中々自分を事細かに自分(また自分の意見)を表現することができず、最後の最後まで納得の行くレベルまで自分を変えることが出来ませんでした。自己表現するためには、様々なことを能動的に考え、行動する必要があると感じました。



④「Do you like adventure?」
最後の点は、プログラム中に親しくなった現地の学生に言われたセリフに関してです。ある週末、その学生と出かける機会があり、色々な店や場所に行きました。彼女は、外見からどんな店か判断もつかないような店にどんどん入って行き、私は後をついて行きました。その度に、私は彼女に「この店には頻繁にくるの?」と聞きました。その度に、彼女は「いや、今回が初めて」と答え、私はびっくりしました。
その日、一通り用事を済ませ、一緒に寮に戻る最中、彼女は私に質問をしました。

「ヤス、冒険は好き?」

私はこの質問に即答で「yes」と答えることが出来ませんでした。
怪しげで入ったことのない店にどんどん入って行く姿にびっくりしていた自分を考えると、yesという返答は出てきませんでした。私はそのような選択の仕方をしないからです。
この時、店の選択に関わらず、自分は今まで無難な生き方ばかりしてきたんじゃないかと思いました。
もちろん、彼女はそんなに重い意味で私にこの質問をしたわけではありません。しかし、私はそれまでのプログラムの中で、いまいち挑戦できずにいる自分に心の何処かで気づいていて、即答することが出来ませんでした。

すごく小さなきっかけでしたが、彼女のこの質問に即応できなかった自分に気づいてから、「本当に俺は今まで新しいことに挑戦しながら生きてきたのか?」と考えるようになりました。
無意識のうちに、無難な方向に、あまり軋轢を生まないような生き方を選んでいるんじゃないのか、と思いました。
そして、仮にそうだったとしたら、本当に損してるなと思いました。
もっと、自分の行動の意味を考えて、本当にこれが最善の選択なのかをもっと考えるべきだと痛感しました。そして、新しいことをもっと試さないとなと思いました。
いつも歩く道を離れて、少し違う道を歩いてみることを心がけようと思いました。