何事からでも学びは得られる(その2)

こんにちは!

今回は杉山がお送りします。
前回に引き続き、何事からでも学びは得られる!というタイトルでお話しようと思います。



第2回目の今回は私の専攻である数学です。
数学から学べることはいろいろとあるのですが、みなさんが想像するのは、
・計算が早くなる
・数字に強くなる
・難しい理論を使えるようになる
といったような、なんとなく機械的な能力だけが上がるイメージがあるのではないでしょうか。
実は、数学の中には、非常に人間的な示唆を与えてくれるものもあるのです!
今回は、数学の中から2つ、そういう例をご紹介したいと思います。

1つめが、圏論という、数学者であれば誰でも知っているくらい基本的な理論です。ですが、相対性理論以上に、これが日常生活で使われることはありません。
(小耳に挟んだのですが、関数型のプログラミング言語(haskellscalaなど)では圏論におけるモナドという概念を使うそうなので、読者の中には触れられている方もいらっしゃるかもしれません。)

圏論の中に、非常に基本的で、それこそ大学院生でも殆どの人が知っている()米田の補題と呼ばれる定理があります。
圏論で扱われる圏という概念は、モノとモノがどういう関係を持っているか、また、それらの関係がどう相互作用しているかを扱うためのものです。そして、米田の補題は、2つのモノA, Bを用意した時、「モノAと他のモノとの関係」と「モノBと他のモノとの関係」が同一の時、初めの2つのモノは本質的に同じモノであるということを主張します。
わかりやすく()言い換えると、そのモノが何であるかということを規定する要因は、そのモノ自身の中というより、周囲のモノとの関係のなかにあるということです。
もっと即物的にいえば、あなたが何者であるかということを規定する要因は、あなた自身の人間性や属性というより、あなたと周囲の人との関係性である。ということです。

哲学的な議論をしだすと、ボロしか出さないのでやめておきますが、そういう示唆のある定理が純粋数学から出てきたりします。
我ながらカッコいいことを言ったと思うので、もう1回まとめておきます。

米田の補題によると、あなたが何者であるかということを規定する要因は、あなた自身の人間性や属性というより、あなたと周囲の人との関係性である。

純粋数学も意外と面白いことを言うと思いませんか?


もう1つが、かの有名なゲーデルの不完全性定理です。
ゲーデルの不完全性定理は、数学基礎論という分野に属する定理です。数学基礎論とは、名の通り数学の基礎を支える理論で、定理とは何か、証明とは何か、論理とは何か、推論とは何かについて議論する分野です。
ゲーデルの不完全性定理はいくつかバージョンが有りますが、今日紹介するのは第2不完全性定理と呼ばれるものです。聞いたことがある人もいるかもしれません。とある論理体系は、その論理体系が無矛盾であるならば、その無矛盾性を自身の論理体系の中で証明できない。という定理です。
どういう意味でしょうか。ここでは、論理体系→人、無矛盾→信頼できると置き換えて説明します。
ゲーデルの第2不完全性定理は、とある人が信頼できる人間かどうかを判断するには、その人の話を聞いただけではわからない、という意味になります。もう少し加えて言うと、とある人が信頼できる人間かどうかを判断するには、他の人がその人をどう思っているかを加味しなければならないという意味になります。数学のクセにいいことを言いますね。

さらにこの不完全性定理を深読みしてみます。よく見ると、「その論理体系が無矛盾であるならば」という仮定があります。実際、とある論理体系が矛盾しているならば、その論理体系が矛盾していないことをを証明できます。矛盾している論理体系は、矛盾しているだけあって滅茶苦茶で、自分が矛盾していないということも証明できるのです。(さらなる矛盾!でも矛盾しているからこうなる!)
これをさっきと同じ喩え話で説明してみると、信頼出来ないタイプの人間は、自分で自分のことを信頼できる人だよ〜と語ることができる。ということです。


いかがでしたでしょうか。なかなか示唆に富んだ深いことを数学が教えてくれることもあるのです。ほんのちょっと、面白いなと思っていただけたらなと思って、2回続けてマジメな記事を書いてみましたが、皆さんの感想はいかがでしょうか?
面白いと思っていただけると嬉しいです!
次回は、少し抜けた話。その3をお送りします。乞うご期待!