全てに責任を持つとは「何でもやること」ではない

アトラエの小倉です。エンジニアをやってます。

カッコいい社会人になることや、より高い成果を仕事で出せる人になることは恐らく全員が望んでいることだと思います。そしてそういう人たちが普く持っている要素の1つに「高い当事者意識」があることも自明です。

自分はアトラエに入社して現在3年目です。新卒で入社したので社会人歴も3年目です。

入社した当時から「当事者意識を持って物事に取り組もう」「全てのことに責任を持って会社に関わろう」と思って日々を過ごしてきました。入社後と最近とで責任感に対する考え方が変わってきたため、今回はそのことについて書きます。

責任を持つことの意味を誤解していた

結論からいうと、責任を持つことの意味を誤解していました。

入社直後の思考はこんな感じでした。

最強の当事者意識を持って会社に関わる
→全てのことに責任を持つ
→自分ができることは何にでも関わるし、全部自分でやりきる

会社を成長させるためには、やるべきことと同じくらいやらないべきことを決めることが重要になりますが、当時の自分は声がかかったら何でもやる!自分が課題だと感じたら何でも自分でやる!みたいな感じでやらないことを決めるとか他の人を頼るとかはあまりありませんでした。あまりというかほぼ無かった気もします。

責任を持つとは、課題を見つけて実行すること、そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。

 

責任を持つことは、仕事のプロセスと結果を誰よりも考えるということ

ここ最近は自分だけで完結させる必要はないと思いはじめてきました。

自分より品質もスピードも高いレベルでこなせるメンバーがいれば、任せたほうがいいかもしれません。

100人で100個のものを生産しているのであれば、1人で100個を生産できるように自分が何か開発した方が生産的かもしれません。

自分がある課題を解決するのに5時間かかるとしたら、もっと重要な課題の解決にその時間を使った方がいいかもしれません

会社やチームの視点で考えたときに、自分が何でもやって自分だけで完結させようとすることは当事者意識がないと感じているのが最近の自分です。

サッカーでいえば、我が我が〜という感じに自分でボールを持ち続けるのに近いです。サッカーやらないから分からないけど多分そう。

そして掲題の通りですが、全てのことに責任を持つことは、何でもやることではないとも思っています。

あくまで自分の得意なこと・能力として出来ること・やりたいことを踏まえて責務を明確にし、自分の持ちうる視点・視野・視座から見たときに他者の責務に積極的に関わったほうがいいのであれば関わり、むしろ仲間を信じて自分は関わらないということを意思決定するのも1つの責任のあり方だと思っています。

「自分には関係ないから、やらない」と「仲間を信じて関わらない」は、表面的には同じように見えますが深層的には違います。

重要なことはプロセスと結果に責任をもつこと。そのための方法として最適な手段を常に選択するということの連続なはずです。

また逆にこういうことができるのがチームや組織でやっていることの醍醐味だし、ここにいる意味でもあると思っています。

より高い目標を達成するためにチームでどう達成するのか、その上で自分が何に責任を持って何をやるのか・任せるのか。常に意思決定の連続ですがこの先に最強の組織があると信じて今日も仕事に取り組むのです。以上!

 

補足

ちなみに何でも手を上げて取り組むアプローチを批判しているわけではないです。

入社当時の自分は貢献できる範囲が狭く、難易度の高いイシューを解決する能力が高くなかったため色々なことに手を挙げて取り組んでいました。

回り回って色々なスキルや考え方が身についたので後悔はしていませんが、この考え方にもっと早い段階で気づけていればとも思っています。

 

ABOUTこの記事をかいた人

小倉勇人

19卒の小倉です。 wevox(https://wevox.io/)というサービスでデータ分析とインフラエンジニアをやっています。