みなさんこんにちは。こんばんはな方はこんばんは。
インフラエンジニアの篠隈です。
タイトルからして「自分のためじゃなくて社会のための行動をしよう!」みたいな話になるイメージを持たれるかと思いますが、どちらかというと「社会のことまで見据えていたほうが個人のため、組織のための行動の両方が最適化される」みたいな話になります。
といいつつ、最終的にもうちょっと大きい話になり、社会の中に会社と自分をどう位置づけるか?なぜそれが重要か?みたいな話になります。
(じゃぁそっちをタイトルにしろ、と自分でも思いましたが、タイトルにしては分かりにくすぎるのでやめておきました…)
四方良し
アトラエにはHPにも出ている5つのValueの中に、「四方良し」というものがあります。
要は「社員」「ユーザー」「株主」「社会」の四方を見て、それぞれ良しとなる道を模索しようというものです。
(あくまでアトラエのValueではあるものの、資本主義下における本質的に良い会社は、この要素を満たすのだと思っています)
この中でも社会というものへの良しを提供することはとても大きな意義があるものの、社会への良しとは何?と聞かれると、答えるのが難しかったり、答えられても人によってバラバラだったりするのではないかな、と思うので、自分なりに整理していこうと思います。
いつもどおり、太字だけ読めば大体僕の言いたいことがわかるように書いていきます。
本質的に考えてみる
まず初めに、僕は本質厨なので本質的に考えてみます。
社会への良しを提供するためには、当然社会とは何かを分かっていないと、その良しもまた分からないはずです。
社会の本質とは?を納得感を持って紐解いて行くだけでも1記事書けそうなので今回ははしょりますが…社会の本質とは、「価値をやりとりする集団」だと思っています。
つまり、社会に良しを提供するということは「集団に対して、良い価値を有む作用をする」ということに自然となります。
……で?という感じなのですがw、まず第一に言えることとしては、この本質に根ざすと社会に良しを提供する方法は、かな〜〜り多くの手段がありそうということです。
事業を通して全世界に…みたいな大きなことをついつい考えたくなるものですが、そうでなくても直接的にも間接的にも、社会に良しを提供する方法は沢山あり、
- 良い事業を展開する
- CSR活動を行う
- 適切な投資を行う
- 社会に良しを提供している企業の守りを固める、サステナブルな仕組みにする
- 勉強会等で知識を他者に共有する
などなど…想像以上に色んな形を考えられると思います。
一旦社会への良しの大小は外して考えると、そもそも仕事とは価値を生みその対価を得ることを本質とするので、ありとあらゆる仕事上の行動は、須らく社会に良しを提供していないとおかしい、という話になります。
逆に言うと、どう考えても誰にもどこにも価値を生まない仕事があるとしたら、真っ先にその仕事はやらないで済むようにするべきです。
自分の仕事を全て、社会にどんな価値を生む仕事か?と考えてみる
のっけから講義のような面白みにかける話をしてしまいました…。
なのでもう少し身近なところに落としてみようと思います。
私自身を例に出し、まずwevoxという事業のインフラエンジニアとしての仕事がどれだけ価値を生む仕事か?を考えてみます。
インフラを堅牢に維持するということは、ユーザーとなる企業様が組織改善に取り組む最初のきっかけを与えられるかどうかという話になり、組織改善が出来るということはより社員がイキイキと仕事をできるようになっていく、という流れになります。
それだけでも十分な価値がありますが、更にその企業がこれまで以上に社会に価値を生んでいけると考えると、とても大きな意義があることがわかります。
その前提に立った上で「メンテナンス時間をどれだけ取るか」だったり「負荷に耐えられる設計に変えていくか」だったりの判断をすると、その前提が無い場合と比べ確実に判断の質は確実に高まります。
インフラエンジニアを例にとって話しましたが、まず間違いなくほぼ全ての業種において、社会を軸に自分の仕事が生む価値について考えることはできるはずです。
これを繰り返していくことで、今の自分が社会に何をなせるのかを正確に判断できるようになっていき、より最適化できるようになり、無駄な仕事がなくなっていきます。
もっというと、自分の成長に合わせて、また自分の仕事の幅が広がるにつれて、限られた時間で自分が何を為すべきかも見えてきます。
ということは、よほど評価制度が崩れてしまっている場合を除いて、社会を中心に考えている人のほうが良い仕事ができ、評価が高まるのは自然なはずです。
この時点でも既に個人の行動の最適化が出来ていると十分に言えると思います。
組織としてより大きな価値を社会に生むにはどうするか?を考えてみる
個人として一定社会に価値を生めるのだとすると、別に群れを作らずに個人で仕事をしても良いという言い方にもなります。
が実際そんなことはないわけで、とても自明な話ですが、組織として生める価値のほうが個人で生めるものよりも大きいです。
そのため、社会を軸に自分自身の行動を変えていった先では、確実に組織としてより大きな価値を生むにはどうすればいいか?に行き着きます。
一般に視座を個人(自分)から組織(会社)に上げるということは、よりビジネスマンとして成長をし、良い状態に向かっていると考えられていると思っていますが、個人的にここには大きな落とし穴があると思っています。
それは、あくまで一つ視座が上がったというだけでまだ上があるにも関わらず、成長できているという実感、自己肯定感があり、ここが到達点のようにも感じてしまえるということです。
ここがゴールになってしまった人の感覚としては「自分は自分自身のためではなく会社・組織のために考え行動できている、だから当然役にたっているし、評価は高い」みたいな形になってしまうこともままあると思います。
だからこそこの段階ではあらためて、「視座を個人から組織に上げただけであって、考えるべきは社会への価値の提供である」ということを強く意識しないといけないと思っています。
……改めて組織としてどうすればより社会に大きな価値を生めるか?を考えてみると、色んなやり方が見えてくると思います。
- より効率のいい業務プロセスを組む
- 人材の配置の最適化を行う
- より一人一人がイキイキと働けている状態にする
- 一人一人が余計なことを考えずに仕事に集中できる環境を作る
などなど…ここも挙げようと思えば多々あるはずです。
これらの方法ももちろんどう社会に価値を生めるかという視点で考えると、今何が優先度高くて、何から手をつけるべきかも自然と見えてきて、効率化が計れるはずです。
要は「価値があるからやった」ではなく、「取り得る選択肢の中で最も価値が高いからやった」に昇華できるわけです。
同時に、今この瞬間だけ良い組織では組織が生む価値の積分をした時に大きなものとはならないので、価値を生む組織を今後も維持・向上し続けられるかどうかも重要であることがわかると思います。
断じて、「自分の目が黒いうちはいい会社でいられるな」というところで満足はできないはずです。
ここまで来ると、社会に大きな価値を生む組織をそこそこ作っている、と言えるはずです。
が、個人的にはまだまだ上があると思っています。
社会の中に会社と自分をどう位置づけるか?を考える
人は時間をかけて考えれば考えるほど、特定のものに向き合えば向き合うほど、今の環境や常識という狭い範囲の中で考えてしまっているということを疑えなくなる生き物です。
なのでここで改めて本質に立ち返ってみると、社会に良しを提供するということは「集団に対して、良い価値を有む作用をする」ということでした。
ここに、特定の会社や組織といった考えは入っていません。
つまり、自分という個人が特定の会社・組織・事業の中で考え社会に価値を生むということは、既に常識に囚われ自分で幅を狭めてしまっているということになります。
世の中で一般に優秀とされる人を思い浮かべてみてください。
恐らく今頭の中に浮かんだ多くの人が自分の会社の中だけで物事を考えておらず、何らかの形で社会に知識を共有していたり、寄付・投資を行っていたり、M&Aを進めていたり、複数の会社を立ち上げていたり、何らかの団体での活動をしていたり…といったことをしていると思います。
方法論が自分の会社で…や、自分の事業で…というところに閉じている人は多くないはずです。
たまに突拍子もないように見える意思決定をする人に出会うこともあると思いますが、大体は社会に価値を生むということを自分の常識の外で考えている人であるということがほとんどだと思います。
この違いは早い話、社会に価値を生むというところが起点なのか、個人・組織が起点なのかという違いです。
社会を起点に考えている人にとっては、今属している組織や会社や事業はあくまで一つの方法論なわけです。
もちろん、だから個人や組織をないがしろにしていいという話ではありません。
それらも選択肢の一つとして社会に価値を生むための大事な要素であることに変わりはないですし、もっというとそれらも社会の一部だからです。
少し話の角度を変えて大事なことを話すと、要は自分の頭の中に社会と、そこに属する会社と、そして自分自身をどう位置づけるか?という話です。
当然一人の人間が社会のありとあらゆる価値提供に関わることは事実上不可能であるからこそ、自分が社会に対してどういう立ち位置で関わるのかを見極め、そのために会社をどう位置づけるのかを考え、必要に応じて会社以外の要素も含め実際に価値を生んでいく図を描けるのかどうか、これを実践できる人が優秀なのだと思います。
…とはいっても実際には僕自身を含めこのレベル感で事を為すのは難しいため、まずは自組織を中心に考えることにはなると思います。
しかし、社会を起点に考え行動できていれば、確実に前にすすめるはずです。
自分や会社を社会の中に位置づけた上で、情報を集め仕事を創る
僕の悪い癖として、ついつい後半にいくにつれ日々の行動に落とせない内容になってしまう…というところをがあるので反省し、最後にグッと日常に引き戻そうと思います。
優秀な人は程度に差こそあれど、価値を生む仕事を自ら作り出せていると思います。
目の前にある仕事に的確に優先順位をつけて対応出来る人も一定優秀だとは思いますが「めちゃくちゃ優秀だ!!!」ということはまず無いと思います。
ですが当然、無から仕事を生み出すということはほぼ不可能で、何らかの情報をきっかけに生み出していく形になります。
そんな情報の得方ですが、ぼーっと生きていてもそういった機会はほぼやってきません。
ではどうするのか?という所の答えが、「自分や会社を社会の中に位置づける」ということだと思っています。
自分は(会社は)どういう形で社会に価値を生んでいくのか、ここを見極めれば見極めるほど、そのために張るべき情報のアンテナも分かってきます。
というか、勝手にアンテナが張られると言っても良さそうです。
そしてもちろん、更にそれが発展し、周囲に「あの人(あの会社)は社会に◯◯なことを為す人だ」ということが伝わっていると、情報からこっちに寄ってくることすらも出てきます。
そうすると自然とそこから仕事を生み出すことができ、そうやって生み出された仕事は当然自分自身の社会への位置づけのど真ん中に刺さる仕事になるわけで、大きな価値を生めるものにもなっていきます。
そしてどんどん正のループが連なり、加速度的に新たな機会を得ることができ、より価値を生めるようになり…と発展していくはずです。
こんな効率的なことは、中々無いですよね。
そして、目の前の仕事を効率的にさばける人よりも、確実に圧倒的に、大きな価値を生んでいることでしょう。
まさに、「代わりの効かない人材」というやつです。
なので改めて、今時点の自分自身をどう社会に位置づけ、その中で考え行動できるかどうかが重要なのかという話だと思います。
最後に
書いていて思いましたが、上記のようなあり方で社会を豊かにしつつ自分自身も幸せにしていくためには、それが出来る環境かどうかというのは極めて重要ですね。
最低でも評価制度はそこに追いついていないといけないですし、余計なことに頭を使わなくて良いような人の集め方、採用というものもやはり重要だなと、改めて思います。
コトに向かうための土台、そんな組織を作り続けられているアトラエは凄いなという自画自賛と、そんな組織を長くずっと作ってきた先人たちには改めて感謝と尊敬でいっぱいです。
アトラエはこれからもそう有り続けつつ、より社会に大きく多様な価値を生んでいきます。
もしそんな中で自分もチャレンジしたいという方がいらっしゃいましたら、アトラエは今この瞬間も積極採用中なので、是非こちらをご覧になって頂ければと思います!
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